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ニコライ堂が東京大空襲で無傷だったのはなぜ?


東京都千代田区にあるニコライ堂です。
ニコライ堂というのは通称で、本当の名前「東京復活大聖堂」といいます。

ニコライ堂という名前は、教会を設置したロシア正教徒の聖ニコライさんの名前から取っています。

実はこのニコライ堂は、東京大空襲で東京都の全域で壊滅的な被害を受けたにもかかわらず、無傷だったそうです。

東京大空襲とはどんな出来事だったのか?

そしてなぜ、ニコライ堂は無傷で残ったのか?

かんたんにまとめてみました。

東京大空襲とは?

東京大空襲とは第二次世界大戦の末期(太平洋戦争)に、アメリカが東京を爆撃した出来事です。
東京都は、1944年11月24日〜1945年8月15日まで、106回の爆撃を受けました。

一連の爆撃により日本は甚大な被害を被りました。

爆撃被災者は約310万人、死者は11万5千人以上
負傷者は15万人以上、損害家屋は約85万戸以上の件数となった。

東京大空襲 - Wikipedia

東京のどこが爆撃を受けた?

画像はニコライ堂周辺(千代田区)で、爆撃によって消失した区域です。
緑の丸のあたりがニコライ堂です。

イメージしやすいように、現在の航空写真にトレースしてみました。
(ざっくりですので、位置のズレはご容赦ください)

ニコライ堂周辺は、爆撃を受けていないことがわかります。
皇居周辺も、被害を受けていないですね。

なぜでしょうか?

皇居やニコライ堂が被災しなかったのはなぜ?

これには諸説ありますが、
ニコライ堂アメリカ軍内で爆撃しないように指示が出ていたそうです。
軍内の正教徒からの要請があった。とか、ドーム型のニコライ堂は目印として使われていた。などと言われております。

皇居が攻撃されなかった理由は、
日本は天皇崇拝の国なので、精神的な支柱でもある皇居を破壊しては、その後の統治に支障をきたす恐れがあるためです。

その他にも、重要な文書が保管されている施設や重要文化財は、攻撃対象から外れている場所があります。

無傷で残ったために遺体置き場となったニコライ堂

ニコライ堂は無傷で残ったため、唯一、遺体を置ける場所として各所から焼け焦げた遺体が大量に運ばれたそうです。

おわりに

いつも見ているニコライ堂が、約75年前は死体の山だったなんて、衝撃でした。

毎日、当たり前に通勤している東京も、約75年前はほとんどが焼け野原だったんですね。

そういえば祖母が、若い頃に上野に出稼ぎに行った時の話をよくしていました。
物乞いの子供たちが路上に溢れていて見てられなかったと。
当時、話半分にしか聞いてなかったけどすごい時代を生きた人なんだと改めて認識しました。
ばあちゃん、ボケてきてるけど生きてるうちに昔の話いっぱい聞いとかなきゃなー。

今を平和に生きていることがありがたいなと感じました。

ではまた。